肉の思い出

目的地滞在よりも移動の時間が好きだったりします。

旅先でも、帰りの飛行機や電車に座ってぼーっとしている

自分を想像して、ぐったりするくらい歩き周りながらも

帰りの移動の時間をひそかに楽しみにしたりする。

座ってくつろげるからというのでなく、

自分だけの空間を確保し、よけいなものは目に入らず、

考えたいことだけ考えられるからでないかと思います。

たとえば、映画館でも、席が決まりシートに座り、

飲み物やバッグの置く位置を確定させ、

自分の空間を作り上げ体勢を整えたときが

映画がはじまる前より好きな時間です。

 

どれも一人のときのことですけど。

 

約束までの時間をつぶそうと映画を観に行きました。

割引の日だったこともあり、余裕を持って行ったのに

次の回は補助席しかあいてませんとのこと。

2時間くらいいいかと思い、

よくある折りたたみのパイプイスで観ることに。

長い・・。まさかの3時間弱。おけつが痛い。

自分の空間も作れず、マフラーとか何度も落とす。

何度か体勢ととのえるためお尻を浮かす動作をするたび、

「この人こっそり屁をこくためにヒップもちあげたわ」と

思われたんじゃないかと不安になります。

映画は2時間におさめて作ってくれよと世界映画協会にお願いしたい。

そんなのないだろうけど。

 



最後にちょろっと出てきた女子学生に、

たぶんこの映画で言いたかったであろうテーマみたいな

セリフを言わせたのはいただけませんでしたが、

もう会うこともないだろう、小さいころだけ遊んだ、

離れてしまった友だちのことを少し思い出したりしました。

 

でも大切な瞬間は日常にそうあるものではないし、

概して毎日はつまらないことやいらいらすることの方が多い。

 

お尻が石になってしまうかと思いましたが、

映画に諭されたので、おいしい瞬間も大切と思いなおし

肉を食べにいきました。

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赤坂の「肉屋うたがわ」。

前を通るたび、おしゃれだが外から丸見えの店内と、

どこからでも見てもよくてよの勢いのこなれたお客様たちに

若干気後れして予約を避けていましたが、

目的を肉に一本化し、食べてまいりました。

 

小学生のころ、給食のシチューに入ってる肉がどうしても

食べれなくて5時間目突入しても食べあぐね、

やっと食べきり、空になった食器を半べそで片づけようとしたとき

「僕がついて行くよ」と先生に言って、一緒に配膳室へさげに行って

くれたYくんのことが一瞬で好きになったことを思いだします。

私にもたしかに大切な一瞬があったのだ。

小さいころ遊びに夢中で、有刺鉄線に足をひっかけ

今でも残るひざの横の傷跡。

鉛筆の芯がささって今じゃほくろのようになった腕の傷。

あったのかもしれません。

すっかりひねくれてしまったな。

肉よ、ありがとう。満足。

 

でもパンケーキも食べたい。

’肉後のパンケーキ’

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はたして、この瞬間が人生に何か影響を及ぼすのでしょうか。

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友人が言うには、ここのラテアートはいつもなんか

おしいそうだ。月?火の玉?

のんだら、おしり模様になっていきました。

 

まっいいか。お風呂に入って、お尻をあっため、

クリームをぬろう。

 

そういえば、注文したイチボは牛のお尻の先の肉だそうです。

お尻ばんざい。うまかったぞ。